あえてうまい事いおうとして意味がわからなくなっているパターン(体罰と耐罰)

ITビジネスアナリスト/顧客視点アドバイザーである
大元 隆志 さんの以下の記事。
体罰と耐罰

手を上げる事を体罰とし
精神的に追い込むことを耐罰としているのかな。

耐罰という言葉がもうずっと使われている言葉なのかもしらないけど
少なくとも、ことえりは認識しませんでした。

あまりにも記事の中身が理解できない上に、著者のドヤ顔が強烈に見え隠れるので
思わずブログにしてしまった。。

今回の件で、体罰という行為もネットの普及で少し形を変えてきているように感じた。聴衆に晒し者にされることで罪をつぐなう「耐罰」だ。








( ゚д゚)ポカーン

「耐罰」だ(キリッ
じゃねー!

何が言いたいのか全くわからないよ。


罪をつぐなうと書いているけど

20歳の女性が恋人と一夜を共にする。人間として何ら恥じることの無い行為だが、メディアによる隠し撮りという行為によって、まず第1回目の「メディアによる耐罰」が執行された。

メディアによる行為が耐罰ということだそうだけど、
そこに償うなんて要素あるのか?

まぁそれはいいとして一番違和感が感じたのは、最後の

スマートフォンやソーシャルメディアは単にハイテクの進化だけでなく、人の行動や価値観にも大きな影響を与えてきている。連日のように「体罰」を批判し、自分達が晒し者にする「耐罰」には無頓着な社会の現状に違和感を感じざるを得ない。

ネットの意見を大きな一人として捉えるような発言は本当にナンセンスだと思う。

「体罰」を批判している人間が、コラ画像を作ったも言い切れないし、
仮にそういう行為(コラ作ったり)に対しては、批判的な人間もいる。ほんと様々。
ファンの中でも意見が様々分かれているのに、ネット世論を決め付けるような発言は
本当に何を根拠に言い切れるのか理解できない。


スマートフォンやソーシャルメディアという部分に触れていることを考えると
シェア・拡散のしやすさという部分についてのいってるのかな。

例えば、Youtubeの例の動画をシェアしたとしても、同時に自分の意見を添えている人もいる。
賛成反対様々。それを総括して人をさらし者にするという行為というなら
大元 隆志 さんもこのような記事を書いている時点で十分そっち側の人間だと思いますけど。

自分達が晒し者にする「耐罰」

自分たちがさらし者にする「耐罰」
もうほんと意味がわからない。。。